ノーウィッチ (Norwich)
1659年、オールドセイブルックから来た開拓者達がモヒガン族インディアンの指導者アンカス酋長から土地を購入して、ノーウィッチの町が設立された. 19世紀、多くの大規模工場があったので、工業都市として知られるようになった.
1658年、ジョン・メイソン少佐とジェイムズ・フィッチ牧師が率いたオールドセイブルックから来た開拓者達がノーウィッチを設立した. 彼らはノーウィッチとなる土地を地元のモヒガン族インディアンから購入した. 1668年、ヤンティック入り江に桟橋が造られた. 開拓地は主にノーウィッチタウン・グリーンの周辺3マイル (5 km) の範囲にあった. 69軒の設立時家族が間もなくノーウィッチタウン近辺の土地を、農業と事業のために分割した.
1694年までに、テムズ川の水源に公有上陸点が建設され、船が港で品物を積卸ろしできるようになった. この港のある地域がチェルシーと呼ばれている. 港とノーウィッチタウンとの間はイースト道路とウェスト道路で繋がれ、それが後にワシントン通りとブロードウェイになった.
当初の町の中心は現在ノーウィッチタウンと呼ばれる地区であり、主に農業の町の中心となるべく内陸の地が選ばれた. 18世紀後半までに、港での輸送業が農業よりも遥かに重要なものとなり始め、特に3つの小さな川沿いで工場が生産を始めてからは猶更だった.
19世紀初期までに、ノーウィッチの中心は実質的にチェルシー地区に移動していた. 市の公的な建物は港の地域にあり、市役所、裁判所、郵便局など全て19世紀の大きな都市型ブロックにある. 元の中心は現在ノーウィッチタウンと呼ばれ、現在の市とははっきりと区別されている.
ノーウィッチの商人はイングランドの商品を直接輸入していたが、1764年の印紙法で、町はより自給率の高い町になることを強いられた. 間もなく町を横切る川の滝がある所に大規模な工場が次々と建設された. ノーウィッチやニューロンドンの船の船長達は平時にイギリスの課税を避けることがうまく、戦中は巧みに戦艦を避けることができた.
アメリカ独立戦争のとき、ノーウィッチは、兵士、船、弾薬を供給することで独立推進派を支持した. 「自由の息子達」の活動では1つの中心にもなった.
独立戦争のときの著名な人物として、ノーウィッチで生まれたベネディクト・アーノルドが居た. 他にもサミュエル・ハンティントン、クリストファー・レフィングウェル、ダニエル・ラスロップ等がいた.
ニューヨークとボストンを結ぶ蒸気船の定期航路が、19世紀の初期を通じて商流の中心としてノーウィッチを繁栄させた. 南北戦争のとき、ノーウィッチでは繊維、武器ほか特注品の製造が拡大し、再度繁栄した. 1832年から1837年にノーウィッチ・アンド・ウースター鉄道が建設されて拍車が掛かり、ノーウィッチに出入りする人と物が増えた. 1870年代までにスプリングフィールド・アンド・ニューロンドン鉄道もノーウィッチを通るようになった.
地図 - ノーウィッチ (Norwich)
地図
国 - アメリカ合衆国
アメリカ合衆国の国旗 |
アメリカ合衆国(United States of America)の頭文字を取って「U.S.A.」もしくは「USA」、合衆国(United States)の頭文字を取って「U.S.」もしくは「US」、または単にアメリカ(America)とも称される.
通貨 / 言語
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